ノジュール10月号
14/15
インと呼ぶにふさわしくなったということなのです。 日本ワインはここ20年で格段の進歩を遂げました。その第一の理由は、ワイン用のぶどうを栽培するようになったこと。明治期にワイン専用品種が導入されたものの、栽培技術の未熟さなどから定着せず、長らく多湿な日本ではワイン専用種の栽培は不可能で優れたワインはできないとされてきました。しかし1970年代後半から再挑戦が始まり、まず塩尻でメルロが成功すると、各地で技術も熱意もある造り手によってタブーへの挑戦がなされ、わずか30数年にしてシャルドネやメルロなどのワイン専用種が日本各地に根付きました。日本固有のぶどう甲州種は主に生食用に栽培され、生食に向かない質の低いものがワイン用にまわされていたのですが、生食用の需要が減少した今は質の高い甲州種もワイン用にまわされます。さらにワイン用に甲州を栽培する農家もあらわれ、よりワインに適した甲州が育まれるようにもなりました。 次により良いワインを造ろうとする志を持った造り手が増え、造り手の栽培・醸造の技術力が格段と上がったことがあげられます。80年代までは、留学して醸造技術を習得するのは一部の大手ワイナリーの技術者か老舗ワイナリーの跡継ぎに限られていました。現在は職業としてワイン醸造を選び、フランス、カリフォルニア、ニュージーランドなどの大学に留学して栽培醸造を学んだり、あるいはワイナリーで働いて実践力を身につけた30〜40代の若い造り手たちが活躍するワイナリーが少なくありません。山梨大学や東京農業大学も栽培醸造技術者養成に力をいれ、80年代とは比較にならないほど日本の栽培・醸造技術は進みました。 技術以上に変わったのが造り手の意欲です。明治初期から続いた呪縛から解き放たれて、今、造り手たちは、世界のワインを知った上で日本でも優れたワインを造れると確信し、世界に通じるワインを造ろうと、畑でワイナリーで努力を続けています。 輸入ワインを楽しんでいたワイン愛好家が、こうして造られるようになったメルロやシャルドネを試してみると思ったより美味しかった。ならば他のワインも、と日本ワインに目を向けるようになったのは20世紀末のこと。フランスのワインが好き 今、日本国内で造られたワインは、国産ワインから日本ワインへと呼び方が変ってきました。「造られた」としたのは、大型容器で輸入し、日本国内で壜詰めしたワインはこの中に含まれないからです。それだけ生粋の日本ワインの品質が上がり、フランスワイン、カリフォルニアワインと同じように産地名を冠して日本ワ今、日本ワインが美味しい!その理由とは?日本でも広がる“ワインツーリズム”もっと身近に─進化する日本のワイナリーなぜ今、日本ワインに注目!?造り手たちの技術と熱意により、目覚ましい質の進化を遂げる日本ワイン。ぶどう畑を眺められる気持ちの良い併設レストランや、貯蔵庫を案内してくれるツアーなど、ワイナリーを訪ねる旅にも注目が集まっています。82
元のページ