[エッセイ]旅の記憶 vol.42

それでも旅路に花は咲く

東山 彰良

作家になるような人種は、きっと本をたくさん読んでいるにちがいない。たしかにそうだ。本も読まずに作家になどなれるものではない。しかし私に関して言えば、二十代半ばまでさほど本は読んでこなかった。読書にのめりこむきっかけとなったのは、アメリカ犯罪小説の巨匠エルモア・レナードの作品に触れたためだった。英語の勉強をしていてそろそろ原書に挑戦しようと手に取ったのが、レナード師匠の御著書だったのである。では、なぜ英語の勉強などしていたのか?

旅に活かそうと思ったからである。

若かったわたしにとって、旅に必要なものは英語と筋肉だった。英語を勉強するかたわら、せっせとウエイト・トレーニングにも励んでいた。筋肉隆々の体にタトゥを入れて、世界中を股にかけるのが夢だった。さすがに五十歳に手が届く今となっては、タトゥへの憧れはずいぶん落ち着いてきたけれど、「世界中を股にかける」のほうは相変わらず私のなかでジリジリとくすぶっている。

大学時代は東南アジアの国々をあてもなくうろついていた。はじめての一人旅は二十歳のころで、散々な目に遭った。マレーシアとシンガポールの境にあるティオマン島が素晴らしいということで、ひとりでのこのこ出かけていったのだった。行きしなのバスがどこでもない荒れ地で故障し、ほとんど半日身動きがとれなかったのが悪運のつき始め。ティオマン島へ渡る船では船酔いに七転八倒し、ダメ押しに島で知り合った中国系アメリカ人に有り金全部盗まれてしまった。

奴とは意気投合したと思っていたのだが、そう思っていたのは私だけだったのである。島で数日遊んだあと、私たちはいっしょにクアラルンプールに戻った。バスが到着したのが午前四時ということもあり、あまり深く考えもせずにこの卑劣漢の知っているホテルに投宿した。先にシャワーを浴びていいよ、という勧めに従ったのが運の尽きだった。

悲嘆に暮れた私はホテルに事情を説明し、ホテル側も人情を解してくれた。部屋を無料で使わせてくれただけでなく、食事時になれば従業員たちの賄い飯に呼んでくれ、夜は夜で入れ代わり立ち代わり遊びに連れ出してくれた。そんな善人ばかりのホテルなのに、私がいるあいだに失火して全焼してしまった。私が焼死しなかったのは不幸中の幸いである。

あのときの旅を今ふりかえると、荷物を盗まれたあとのほうがずっと充実していたように思う。人生万事塞翁が馬。これが私の旅の原風景である。


イラスト:サカモトセイジ

ひがしやま あきら●1968年台湾生まれ。福岡県在住。
2002年、「タード・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。
2003年、同作を改題した『逃亡作法TURDONTHERUN』で作家デビュー。
2009年『路傍』で第11回大藪春彦賞、2015年『流』で第153回直木賞を受賞。
近著は終末世界を描いた『罪の終わり』

(ノジュール2016年6月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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