[エッセイ]旅の記憶 vol.43

あ〜愛しいコウライアイサ

谷口 高司

コウライアイサという鳥がいる。

漢字では「高麗秋沙」。

読んで字の如く朝鮮半島(高麗)に居ると思われてはいたものの、謎の多い鳥で、日本に冬鳥として飛来する3種のアイサの仲間とは一線を画す扱いだった。

それが、30年ほど前から、少しずつ謎が解け始めている。

当時私は、台湾野鳥資訊(しじん)社の呉森雄(ウー・センション)さんの依頼で、日本野鳥の会からの指名を受けて『台灣野鳥圖鑑(たいわんやちょうずかん)』に掲載する台湾の野鳥のイラストを描いていた。まだネットも普及する前で、不明な部分は、野鳥の会の市田則孝さんとともに渡台し、現地で本物の鳥を観察したり、標本を手にとって疑問点を解決していた。

ある水鳥のリクエストをした時、呉さんが戸棚から数体の剥製を出して言った。「これはウミアイサね」「?」。私と市田は顔を見合わせた。目の前の標本にはウミアイサにはない、美しいウロコ模様がくっきりとあるのだ。「これは、コウライアイサ…だろう?」

その前年、日本野鳥の会機関誌『野鳥』に、これから確認できそうな鳥ということで、写真一枚ない中、乏しい資料をかき集めコウライアイサのイラストを描いたばかりだったから、確信があった。聞けばこの剥製は台湾東部東港で捕獲された個体とのこと。

私たちは震える思いで、この鳥を「コウライアイサ」と同定した。「コウライアイサ」は朝鮮半島だけでなく台湾にまで飛来していたのだ。いろいろな国の図鑑を描いていると、思いがけない言葉にできないような〝お土産〞を頂く事がある。この鳥もそうだった。

台湾でコウライアイサの記録が出たことで、日本に飛来する可能性も大いに高まった。そして翌年の1986年、木曾川に飛来との報せを受け、私は仲間と夜行列車で駆けつけた。だが、あいにくの豪雨。それでも諦めきれずに濃霧のなか川岸を歩きまわり、この辺りで昨日見かけた、と聞いた場所で一歩踏み出したとたん、土手を滑り落ちてしまった。結局、ズボン一本ダメにし、コウライアイサにも会えないまま、泣く泣く帰路についた。

それ以降、年に数例ではあるが、飛来が記録されるようになった。これは『野鳥』誌への掲載でバードウオッチャーの興味が高まり、その後の図鑑等への掲載で広く知れ渡ったことと自負しているものの、肝心の私は、未だにコウライアイサには会えずじまいだ。

会えないのは「そっとしておいて欲しかったのに…」というコウライアイサからのメッセージだろうかと思いながらも、今年こそ! とまだ諦めきれずにいる。


イラスト:サカモトセイジ

たにぐち たかし●1947年東京生まれ。元日本野鳥の会評議員。
日本野鳥の会発起の地、善福寺池で幼少より自然に親しむ。
野鳥図鑑を一冊まるごと描く画家として国内外で活躍、日本野鳥の会編の「山辺の鳥」「水辺の鳥」、「台灣野鳥圖鑑」「原色野外図鑑韓国の鳥類」「新タマゴ式鳥絵塾」など著書は40余冊。
野鳥イラストを通し広く自然保護活動に向き合うため「谷口高司と野鳥を楽しむ会」を主宰。

(ノジュール2016年7月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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