[エッセイ]旅の記憶 vol.45

旅なのか、暮らしなのか

宮下 奈都

初めて北海道へ旅行したとき、驚いた。空の色が違う。空気の密度が違う。風の匂いが違う。これが同じ日本だろうか、と思った。大きく息を吸って、吐いて、吸って。大学生だった私は、一遍で北海道が大好きになった。

以来、何度も北へ飛んだ。ときにはフェリーで海を渡って上陸することもあった。

何年かして結婚してみたら、相手は輪をかけて北海道好きだった。東京生まれの東京育ちの人である。ちなみに私は福井生まれ福井育ち。それなのになぜか夫婦揃って北海道好きで、野球は広島カープ。不思議だ。

子供たち三人が生まれてからも、長い休みには北海道へ旅行した。車で一か月近くかけて全道を走ったこともある。ホテルの狭いベッドにぎゅうぎゅうになって泊まったり、道の駅の駐車場で車中泊したり。車中泊の晩は運悪くものすごく暑くて、北海道のくせに暑いじゃないかとひそかに怒った。窓を開けて寝るのは不用心だし、閉めれば家族五人の熱気でむしむしした。ーーああ、若かった。今では車中泊は無理だ。よく眠れなかったら翌日に響くだろうと考えてしまう。旅行の最中に睡眠の質について考えること自体が無粋だ。車中泊というのは若さと健康のしるしであり、つまりはとても贅沢なことなのだと思う。

それから数年して、私たちは北海道の重心にあるトムラウシ山と出会う。ひと目で心を奪われた。神、と彼の地の景色を形容したのは、当時十四歳だった息子だ。神には勝てない。たった一年間ではあるけれど、家族でトムラウシに住んでしまった。大雪山(だいせつざん)国立公園の中の小さな集落だった。ぎゅうぎゅう寝ていた子供たちは中学生と小学生になっていた。

雄大な山の麓で暮らすというのは、想像を超えて気持ちのいいものだった。今でも夢を見ていたような気がすることがある。たしかに暮らしていたはずだし、生活の実感も痛いくらいあったのに。あれはほんとうに暮らしだったのか、もしかして旅だったのではないか?

神としかいいようのなかった景色を、なんとか言葉で表現できないかと夢中で書き上げたのが、『羊と鋼(はがね)の森』だ。旅なのか暮らしなのか今でも判然としない、あの美しい山での一年がなかったら、決して書けなかった。旅というのは、非日常でありながら、日常と密接につながっている。私にとってのトムラウシも、旅であり、暮らしであり、人生なのだ。


イラスト:サカモトセイジ

みやした なつ●1967年福井県生まれ。小説家。
上智大学卒業後、会社勤務を経て、2004年「静かな雨」でデビュー、文學界新人賞佳作に入選。
2013年、北海道新得町で家族と1年間の山村留学、その北海道での体験が執筆のきっかけとなった『羊と鋼の森』が
2016年に第154回直木三十五賞候補、第13回本屋大賞を受賞。
旅をテーマにした短編集『遠くの声に耳を澄ませて』ほか、『誰かが足りない』など著作多数。

(ノジュール2016年9月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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