[エッセイ]旅の記憶 vol.46

果たせなかった旅

石 寒太

いろいろな旅がある。吟行もそのひとつである。

このごろ俳句仲間では、ちょっとした吟行ブームであるらしい。いろいろな理由はあるが、都会の中に自然が少なくなったのがそのせいかも知れない。俳句をつくる目的で、わざわざ遠い地方に出かけるのも、時代のなりゆきであろう。

さて、私には果たせなかった吟行がある。作家の畑山博氏との旅である。彼は昭和10年の東京下町生まれ。『いつか汽笛を鳴らして』により、第67回芥川賞を受賞した。山や海が大好きで、とうとう亡くなる前の何年間かを葉山の頂で暮らした。山羊・鶏・犬・猫・アライ熊などたくさんの動物に囲まれ、そこを銀河鉄道始発駅とし、自ら駅長と称していた。第一号の乗客が私で、そのキップも渡された。

様々な小説や童話・エッセイを書き遺したが、宮沢賢治の研究家としてもよく知られ『銀河動物園』『銀河鉄道魂への旅』他の賢治に関する著作も多い。そもそも私が賢治にのめり込んだのも、多分に彼の影響がある。やがて、ふたりで『宮沢賢治 幻想紀行』というカラー写真と文章をコラボした紀行文まで出してしまった。

忙しい仕事の合間を縫って、年に何回か三浦半島の町外れにある山腹の彼のボロ家を訪ねるのが、私の唯一の楽しみになってしまった。

その日は、朝から家を出て昼ごろに出迎えをうけ、広いデッキの付いた細長い建物から海を見下ろし、贅沢に昼から酒をあおり、やがて日が没して暗くなりあたりに星が出はじめるころまで文学論を交すのが、私の至福のひと時であった。いつかふたりは、本当に銀河鉄道の旅に出かけた主人公のジョバンニとカムパネルラになってしまっていた。

彼は、私の俳句のよき理解者でもあった。「好きな寒太さんの句はいくつかあるが、やっぱり〈雁かへる悪路(をろ)王塚の土減る日〉が一番。いつか一緒に、ふたりで吟行しようぜ」。

が、酔が廻ったころの彼の口癖であった。「ああ、そのうちにきっと……」。

そうこういっているうちに、あっという間に逝ってしまった。

汚れきった大都会にも、ごく稀に銀河がまたたく秋の夜もある。薄明のなかに、車輌がレールの継ぎ目に軌む音が聞えてくる。どこに向かい、どこまで走りつづけるのか。そんな銀河鉄道の旅は、いつも夢の中である。

  星隕(お)つる銀河鉄道始発駅      寒 太


イラスト:サカモトセイジ

いし かんた●1943年静岡県生まれ。俳人。本名、石倉昌治。
1969年、俳誌「寒雷」に入会、加藤楸邨に俳句を学ぶ。
現在、俳誌「炎環」主宰、「俳句αあるふぁ」編集長、毎日文化センター・NHK俳句教室講師。
日本文芸家協会・近世文学会・俳句文学会・現代俳句協会会員。
著書に、句集『あるき神』『以後』『炎環』『夢の浮橋』、評論・随筆に『五七五の力』『こころの歳時記』(毎日新聞社)『加藤楸邨の一〇〇句を読む』(飯塚書店)など。

(ノジュール2016年10月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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