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美術家と名作を巡る旅

葛飾北斎
晩年の傑作が眠る町・
小布施を歩く

文:高田京子 写真:清澤謙一、北斎館

江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎が、作品制作のために80歳を過ぎてから4回も訪れた地
ーそれが、長野県の小布施町です。
世に流通する版画ではなく、その地に残る肉筆画にありったけの魂を込めた北斎の傑作を求めて、信州へ。

最晩年の北斎が訪れた
北信濃の小さな町へ
長野県北部、千曲(ちくま)川の東岸に広がる小布施(おぶせ)は、かつて舟運で栄えた町だ。長野電鉄小布施駅のホームに降り立つと、西側には雪化粧した北信五岳(ほくしんごがく)の山並みが悠々と連なる。ここは晩年の葛飾北斎が訪れ、数多くの肉筆画を制作した場所でもある。宝暦10年(1760)、本所割下水(ほんじょわりげすい)(現東京都墨田区)に生まれた北斎が、画家としてデビューしたのは20歳の頃。初めて「葛飾北斎」と号したのは40代半ば、50歳を過ぎてから『北斎漫画』を出版、出世作『冨嶽三十六景』を世に放ったのは70歳を過ぎてから。その後も「画狂老人卍(まんじ)」に号を変更するなど、老いてなお新境地を求める意欲は衰えることがなかった。

江戸を発って60里(約240㎞)、北斎が初めて小布施を訪れたのは天保13年(1842)、83歳の秋で、以降89歳までに計4回訪れたと言われる。この頃、北斎が没頭していたという貴重な肉筆画が40余点も展示されているのが「北斎館」だ。平成27年4月にリニューアルして、展示面積は従来の1・7倍となり、見応え十分。もっとも目を引くのが第四展示室にある祭屋台の天井絵だろう。北斎85歳、2度目の滞在時に描いた東町祭屋台の『龍図』と『鳳凰図』、さらに翌年、3度目の滞在時に取り組んだ上町(かんまち)祭屋台の怒涛(どとう)図『男浪(おなみ)』『女浪(めなみ)』を、実物の祭屋台とともに間近で見ることができる。濃密に彩られ、内なる激しさがほとばしる渾身の筆致からは、〝画狂老人〞北斎の熱き思いが伝わってくるようだ。

小布施の名物〝栗〞を
ランチとデザートで
北斎館の正面、「栗の小径」の先には「髙井鴻山(たかいこうざん)記念館」がある。文化3年(1806)、小布施の豪農・豪商の家に生まれた髙井鴻山は、京都や江戸に遊学し、幅広い人脈を築いた一流の文化人だった。北斎の門下生となった鴻山は、師を小布施に招いて厚遇し、北斎に協力して熱心に絵画制作に励んでいたようだ。

小布施でのランチは、名物の「栗おこわ」を。小布施の栗は江戸時代、将軍への献上品として全国に知られた、いわば〝ブランド栗〞だ。200年以上の歴史をもつ栗菓子屋「桜井甘精堂(さくらいかんせいどう)」が営業する食事処「泉石亭(せんせきてい)」でいただいたのは、「甘精堂御膳」。「当店では、素材そのものの味をお楽しみいただくため、栗とおこわを別々に炊き上げています」と広報担当の井口三菜子さん。ホクホクとした大きな甘い栗は、もっちりとしたおこわと相性抜群だった。

新栗の季節に話題を集める栗菓子と言えば、老舗小布施堂本店の「栗の点心朱雀(すざく)」が有名だが、こちらは毎年9月中旬〜10月中旬とほんのわずかの販売期間に大行列ができるほど。そこでおすすめは、朱雀を洋風にアレンジした「モンブラン朱雀」。こちらは小布施堂が昨年オープンしたカフェ「えんとつ」で通年提供している。実は小布施堂や桝一市村(ますいちいちむら)酒造を経営してきた市村家の12代当主こそ髙井鴻山であり、国道に面した正門は、葛飾北斎が何度となくくぐった門でもある。

(ノジュール2017年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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