50代からの旅と暮らし発見マガジン

[エッセイ]旅の記憶 vol.50

今よりずっと若かった頃の話

奈良美智

60年代、北国の地方都市。住んでいたところは家並みが途切れて草原が広がり始めるような丘の上だった。隣の家には羊がいて、遠くに小学校が見えた。学校へは道を通らずに草原を突っ切って行っていた。

6歳の頃、学校から戻った鍵っ子の僕は、炊飯器の中に残っていたご飯でおにぎりを作り、鍋に残っていた味噌汁を牛乳瓶に詰めて、近くに見える山に向かってあても無く歩き続けてみたことがある。歩き疲れた頃に、ちょっと景色の良い所で休んで、おにぎりを食べた。

7歳の時には同級生のマナブ君とふたりで私鉄の終点駅まで行った。ちょうど台風が去った次の日で、増水している川と流されかけて半壊した橋を覚えている。小さな町を歩き回った後、一番星が輝き始めた頃に帰りの電車に乗った。僕らはその車中でお節介なおばさんに捕まり、自分たちの降りるべき駅を通り越して大きな駅で降ろされた。警察を呼ばれ、心配で青い顔をした母親たちが迎えに来た。しかし、幸運にもお節介ではなかった親たちは、それ以降も行き先さえ告げれば自由な行動を許してくれた。小学校も高学年になれば、自転車でいろんなところへ行ったし、中学や高校ではテントで寝ることも覚えた。共働きの家ゆえの放任主義で自由に出歩いていた。

70年代の半ばには窓から学校も林檎畑も見えなくなり、いつの間にか建ち並んだ家々に囲まれていた。かつての草原は跡形も無くなり、隣の家の羊もいつの間にか消えていた。そんな景色の移り変わりを、50年代に日本の地方都市に生まれた人はみな見ていたと思う。

夜行列車に揺られて上京し、私立の美術大学に入って二十歳になったばかりの頃、払うべき学費を使い込んでヨーロッパに一人旅に出た。南回りの格安航空券で1年間のオープンチケットだった。今でこそ各国のガイドが出ているガイドブックも、当時は『ヨーロッパ』と書かれたものだけで、厚さは2センチにも満たなかった。アメリカ製の『1日10ドル』という英語のガイドブックのほうが、日本人バックパッカーにとってはポピュラーだった。二十歳そこそこの言葉もろくに話せない東洋人にヨーロッパは親切にしてくれた。時は1980年、まだ日本人の一人旅は珍しかったし、汽車に乗りバスを乗り継いで、時にはヒッチハイクして旅するバックパッカーは欧米の若者ばかりだった。

2月に旅立ってから3カ月後に帰国。学費を使い込んだことは内緒だった。翌年に地方の公立大学を受けて合格した。『私立大より仕送りの負担を軽くするため』と親に言い、引っ越し屋さんのトラックに一緒に乗って東京を後にした。

使い込みの事実を知らないまま父は他界したが、次の帰省で母には話そう。


イラスト:サカモトセイジ

なら よしとも●画家・美術作家。1959年青森県生まれ。
日本の現代美術を代表する一人で、MoMAニューヨーク近代美術館や東京都現代美術館など多くの美術館に作品が収蔵され、国内外で展覧会が開催されるなど世界的評価を受けている。

(ノジュール2017年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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