こだわり1万円宿 第11回

旅ライターの斎藤潤さんおすすめの、一度は泊まってみたい宿を
「予算1万円」に厳選して毎月1宿ご紹介します。

神奈川県

紀伊國屋旅館
(きのくにやりょかん)

湘南の海の幸を満喫できる江の島・片瀬海岸の宿

どこか懐かしい
昔ながらの和風宿
竜宮城を思わせる小田急片瀬江ノ島駅から、江ノ電江ノ島駅と江の島を結ぶ繁華街に出た。

何軒もある食堂は、どこもシラス丼を売りにしている。紀伊國屋旅館の看板が見えた手前にも食堂があるが、昼食にはまだ早い。

その先を左手に入ると、路地のような細長い庭が続き、常緑樹が繁る木立の奥に「料理旅館」という金文字の看板を掲げた建物があった。狭い空間ながら大木が石畳の小径に覆いかぶさり、閑静で落ち着いた雰囲気を醸していた。

玄関のガラスの引き戸には、摺りガラスの文字で「旅館貸席」と書かれている。貸席は、海水浴客などが日帰りで利用する部屋だろう。宿の一角には、足洗い場も用意されていた。玄関脇には「男女別大風呂・ご利用休憩700円」という看板もある。

玄関の上の明り取りには、レトロな模様ガラスが嵌め込まれ、見上げると傘天井だった。正面には、大きな南洋風の木彫レリーフが飾られている。初めての宿なのに、なんだかとても懐かしい。

午前中だが、宿泊プランでセットになっている「江の島1デイパスポート」(エノパス)を受け取り、荷物を預かってもらおうと、今宵の宿を早々に訪れたのだ。

声をかけると女性が姿を見せ、荷物を受取り、エノパスの引換券をくれた。それを持って観光案内所へ行き、エノパスに交換する。

部屋でひと休みしてから、大きな露天風呂へ。湯温はぬるめで、一度浸かると出にくいほど。脇にある桶の風呂には、熱いお湯がどんどん注いで気持ちいい。桶の縁に頭をのせて体を浮かせると、薄雲がかかる空が広がった。露天風呂では、湯口の下まで行って背中や首筋で湯を受けることにした。これもなかなか気持ちいい。

ランプの灯が明るさを増してきた部屋でしばらく寛ぎ、滝見の湯へ。薄暮の中でも、白い水脈が幾条も見える。一人旅の温泉好きオジサンと話し込んでしまった。

江の島観光の後は
湘南の地魚と酒を堪能
小学生の時以来半世紀ぶりの江の島探検なので、なんでも新鮮で目新しい。江島(えのしま)神社など、主な観光ポイントを全て巡って宿に戻ってくると、17時を回っていた。

案内された客室は2階で、階段の手すりは自然に曲がった杉丸太が1本まるごと使われている。2階回廊の柵には、面白い虫食い板が嵌めてあった。各部屋の入口上に設えられた風情ある庇や、引き戸にあしらわれた竹なども味わい深い。昭和初期の建築だというが、当時の建物は実に巧みな意匠が凝らされていて感心してしまう。

通されたのは2畳の次の間がついた6畳の和室。一息ついて風呂に入ると、大広間で夕食だった。

並んだのは、焼きハマグリや、合鴨ロース、トコブシなどの盛合せ。刺身は、マグロ、タイ、ブリ。サザエのつぼ焼き、コハダ酢、タラの西京焼き、エビや野菜の炊合せ、天ぷらには、エビや野菜のほかにシラスのかき揚も入っていて、最後はシラスととき卵のお吸い物。やはり、シラス料理は定番らしい。晩酌は、地元に敬意を表して清酒藤沢宿を頼んだ。

部屋に戻る時に広間の床の間を見ると、ちゃんと龍鬢表(りゅうびんおもて)(床の間専用の畳表)が敷いてあり、戦前の仕事にまた感心。

朝食は、昼は食堂として営業している表通りに面した場所でとった。アジの干物などと共に、予想通りシラスおろしとシラス入り卵焼きが並ぶ。レジ脇にあったプラスチックのカラフルな食券が、ひどく懐かしかった。

さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書は『日本《島旅》紀行』『島ー瀬戸内海をあるく』(第1〜第3集)、『絶対に行きたい!日本の島』、『ニッポン島遺産』、『瀬戸内海島旅入門』などがある。

(ノジュール2017年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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