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鎚起銅器の伝統を受け継ぎ200年
金鎚の音が鳴り響く町

燕三条の金物

文・写真:入江織美

全国に名だたる金属加工の町・燕三条へ。
江戸後期より鎚起銅器をつくり続ける玉川堂を訪ね、伝承されるワザの世界をのぞいてみましょう。
洋食器や刃物が豊富に揃う物産館での買い物も愉しみです。

江戸期の和釘から
始まった金物の町
燕(つばめ)市と三条(さんじょう)市一帯、総称して燕三条(つばめさんじょう)は、約570社(従業員4人以上)も金属加工の工場がある金物の産地。ノーベル賞晩餐会のフォークなどを作る山崎金属工業やキャンプ用品のスノーピークなど有名メーカーが数多い。

その歴史は江戸時代初めまでさかのぼる。信濃川などの水害に困窮し果てていた農民のために、代官が江戸から和釘鍛冶(わくぎかじ)を招いて和釘づくりを奨励。三条では、鎌や鉋(かんな)、包丁へと広がり、刃物の専業鍛冶が増えていった。

一方、燕では、元禄年間(1688〜1704)初期に弥彦山(やひこやま)の北側、間瀬(まぜ)銅山が開坑したことや明和年間(1764〜1772)に仙台の渡り職人が鎚起(ついき)銅器の技術を伝えたことにより銅器がつくられるようになる。この技術が受け継がれながらも、金属加工技術は様々に枝葉が広げられ、現在では日本の金属洋食器生産額の9割を燕市が占めている。

家族経営の小さな工房は古い町家や雪除けの屋根の雁木(がんぎ)がわずかに残る旧市街にあるものの、ほとんどは広々とした田んぼの奥に点在する工業団地に移っている。

鎚起銅器の老舗の、
唯一無二の手ワザ
燕市の発展の原点ともいえる鎚起銅器を、文化13年(1816)から200年にわたってつくり続けているのが玉川堂(ぎょくせんどう)である。その技は国の無形文化財に、鎚起銅器は伝統的工芸品に指定されている。鎚起とは、鎚(つち)で打ち起こすという意味で、平らな銅板を繰り返し打ち、立体的な器に成形する金属工芸である。

築100年を超える日本家屋の奥に、玉川堂の工房がある。「カーン、カーン」「カン、カン、カン」と金鎚の音が鳴り響いている。軽やかな音、重たげな音などが入り混じり、聞こえるのはその金属音だけだ。「打つ場所によって音が違うんですよ」と教えてくれるのは、匠(しょう)長の玉川達士(たまがわたつし)さん。人間国宝である父・宣夫(のりお)さんの技を受け継ぐ伝統工芸士だ。

見学もできる工房では職人がケヤキ材で出来た上がり盤に腰掛けて、鳥口(とりぐち)と呼ばれる鉄棒に引っ掛けた器をひたすら打ち続けている。その間、叩いて硬くなるので火炉(かろ)で熱し、柔らかくしてまた叩く。「器の底の大きさは決まっていますが、縮めるのも丸めるのも職人の勘一つ」と玉川さん。まさしく唯一無二の器である。「立体的にしながら表面のフォルムを美しく出してゆくところに個性が出ます。一番難しいのは、決まった形をきっちりつくることです」。伝統工芸士ならではの控えめながらも気概のある言葉だ。

彫金をしたり鎚目(つちめ)模様で表面を整えた後に、銅に錫(すず)を焼き付け、硫化カリウムなどの薬液に浸けて玉川堂オリジナルの色彩に仕上げる。金、銀、ダークブルーとさまざまで、長年使い込むほど深みが増してくるという。

(ノジュール2017年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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