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風情に富む湯の町に、早春の香りを届ける

修善寺梅林 静岡県伊豆市

文・写真:入江織美 写真提供:伊豆市観光商工課

紅白の梅花で覆われる斜面
花枝越しに富士山を仰ぐ
桂川(かつらがわ)の清流沿いに開け、山々に囲まれた湯の町、修善寺(しゅぜんじ)。約1200年前に弘法大師が川中の岩を打ったところ、温泉が湧き出したと伝わる「独鈷(とっこ)の湯」が修善寺温泉の起源である。鎌倉時代には源氏滅亡の舞台にもなり、それらの歴史や彩り豊かな自然を求め、古くから多くの文人墨客が修善寺を訪れている。

草や木の芽もかたい2月、温泉街の北側の修善寺梅林は、春に先駆けて梅がほころび、陽だまりの中に馥郁(ふくいく)たる香りが漂っている。梅林は山間部を整備した広大な修善寺自然公園の一部で、3万㎡の小高い丘陵地いっぱいに紅梅、白梅合わせて20種・1000本の梅が植栽されている。

修善寺梅林へは伊豆箱根鉄道修善寺駅からバスに乗り、もみじ林前で下車。バス停の目の前が梅林遊歩道入口だ。木々に覆われた緩い坂道を10分ほど上って行くと西梅林に着く。

園内は西梅林と東梅林に分かれ、樹齢100年を超える古木から30年程度の若木まで、枝という枝に白や紅色の愛らしい花をつけている。天気が良ければ花枝の間から雪化粧の富士山も見える。東梅林の富士見台と呼ばれる高台は、とっておきの富士山のビューポイント。あずま屋もあるので、早春の芳しい花景色と霊峰富士をゆっくりと堪能したい。

西梅林と東梅林の真ん中あたりに茶室「双皎(そうこう)山荘」や売店がある。「梅まつり」期間中は、茶室で野点が愉しめ、売店では鮎の塩焼きなどが販売される。岡本綺堂(きどう)の『修禅寺物語』の記念碑を始め、修善寺を愛した尾崎紅葉(こうよう)や高浜虚子(きょし)らの文学碑が点在する梅林の散策コースは所要20分。観梅や休憩時間などを含むと1時間ぐらいは予定しておきたい。また、丘陵地を歩くので、歩きやすい靴を履きたい。

東梅林から温泉場バイパス線の桂谷(けいこく)トンネルまでの下り道は、昼なお暗い林間の石畳。所々に弘法大師像と西国札所本尊の梵字などを刻んだ石碑が立つが、これは昭和5年(1930)に修禅寺三十八世丘球学(おかきゅうがく)老師が西国霊場の全ての土を持ち帰り、建立した「桂谷八十八カ所」である。修善寺周辺の八十八カ所を巡れば、四国霊場巡拝に等しい功徳が得られるという。梅林の散策コースにも10基立っている。

源氏の史跡や「竹林の小径」
弘法大師開基の修禅寺を巡る
桂谷トンネルから住宅地の小径を7分ほど歩くと、付近に紅梅、白梅がそこかしこに咲く高みに源範頼(のりより)の墓がある。源頼朝の異母弟・範頼は頼朝に裏切り者との疑いをかけられ、修禅寺に幽閉された。その後、梶原景時(かげとき)の不意打ちにあい、自刃したといわれる。桂川を隔てた鹿山(しかやま)のふもとには、範頼の死後から10年ほど後に死んだ源頼家(よりいえ)の墓も立つ。頼家は頼朝と政子の子で、18歳にして二代将軍の座につくが修禅寺に幽閉された後、暗殺された。弟の実朝(さねとも)が三代将軍になるものの実朝もまた暗殺され、源氏の実権は三代で幕を閉じた。修善寺を訪れた正岡子規は「此の里に悲しきもののふたつあり範頼の墓と頼家の墓」と詠んでいる。

案内板が多いので修善寺散策は迷うことはない。範頼の墓からは「風の径」と呼ばれる道を進み、作家・島木健作が短編『赤蛙(あかがえる)』の構想を得たという赤蛙公園、さらに風趣に富む桂川沿いの「竹林の小径(ちくりんのこみち)」へ。桂川には朱色の楓橋や桂橋なども架かり、修善寺温泉を代表する景観である。

近くには弘法大師が湧出させた「独鈷(とっこ)の湯」が桂川の中に湧き、そのすぐ北に弘法大師によって開かれ、「伊豆国の寺院一千を束ねる寺」と呼ばれた古刹・修禅寺が堂々とたたずんでいる。ちなみに寺名は修善寺ではなく、修禅寺と表記する。

(ノジュール2018年1月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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