[エッセイ]旅の記憶 vol.68

現地のにおい

中野 京子

今やネットを開けば世界中を旅した気分になれる時代だ。旅行者による写真や音声入り動画、ドローンが撮った上空からの俯瞰映像など、自分の目や耳でキャッチするよりはるかに多くの情報が得られる。何でも見たし聞いたし、これで十分、もう行く必要なし、と思う人が増えても不思議はない。

けれどバーチャルな旅では決してわからないことがある。「現地のにおい」だ。その欠落がどれほど大きいか、それこそ行ってみなければわからない。心地良い香りにせよ不快な臭いにせよ、嗅覚の刺激は我々の無意識に目覚ましく作用し、知らず知らずのうちにその場の雰囲気に対する好悪までも決定づける。また紅茶に浸したマドレーヌ(『失われた時を求めて』)がそうだったように、遠き日の記憶を呼びさまして心にさざなみを立てることもある。旅を忘れがたくする陰の功労者こそ「におい」なのだ。

私の体験を少々。

初めてタイへ行った時のこと。夕べに庭園を散歩していて、見たこともない大ぶりの派手な花々に驚いた。だが目が驚くより先に、「むせかえる南国の香り」という言葉を思い出していた。ありふれたこの表現を、小説やエッセーで何度読んだことだろう。読んでわかったつもりでいたが、現実は違った。自生して乱れ咲く花々が発していたのは、何というか、ある意味、暴力的とさえ言えるほど圧倒的な質量感だったのだ。手で触れられるような芳香だった。

ナイアガラ瀑布にも驚かされた。さまざまな映画でおなじみなので視覚的には既視感があったが、風向き次第で遊歩道にまで水しぶきが降り注ぐ。その悪臭たるや……。濡れた服はすぐ洗わねばならないほどだった。もうずいぶん前の体験だが、水質汚染はその後少しは改善されたろうか。

ロシアでは鮮烈なお出迎えがあった。東京からモスクワに降り立ち、空港から外へ出ると白樺が林立していた。道産子のわたしには美しくも懐かしい光景だ。周知のように白樺の葉は清々しい香りを発し、リラックス効果をもたらす。長旅の疲れがたちまち癒されたのは言うまでもない。翌日はトレチャコフ美術館を訪れ、数々の風景画を見た。ロシアの画家たちの白樺への愛を知る。画面からは薫風が感じられるほどだった。

ぜひ「現地のにおい」を意識してみてください。旅がさらに豊かになりますように。


イラスト:サカモトセイジ

中野 京子〈なかの きょうこ〉
ドイツ文学者、西洋文化史家、翻訳家。
オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆し、著書『怖い絵』シリーズで注目を集める。
新聞や雑誌に連載を持つほか、テレビの美術番組でも活躍。最新刊に『美貌のひと』(PHP新書)

(ノジュール2018年8月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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