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禁断の大奥「御内原」初公開!

賀数仁然さんと歩く新しい首里城

文:武田ちよこ 写真:垂見健吾

琉球王国の歴史と文化を象徴する首里城。
今や世界中から多くの人が訪れる観光スポットに、「御内原」と呼ばれる新公開ゾーンがオープンしました。
改めて知る首里城の全貌―。
歴史ガイド・賀数仁然さんの案内で、うららかな春の歴史さんぽへ。

旅は“琉球王国の顔”
盛衰を見つめた守礼門から
広大な東シナ海を舞台に、活発な外交、貿易を行って栄華を極めた琉球王国。その中心として威容を誇ったのが首里城だ。その歴史は古く、創建は14世紀末と伝わる。1429年に琉球を統一した尚巴志《しょうはし》は、首里城を王城と定め、整備・拡張。以降、明治12年(1879)の廃藩置県による琉球王国の滅亡までの約450年間、首里城は王国の栄枯盛衰を見つめてきた。

昭和20年(1945)の沖縄戦により一度は焼亡するも、地道な復元工事のすえ、平成12年には世界文化遺産に登録された。そして今年2月、「首里城復元プロジェクト」のクライマックスとなる「御内原《おうちばら》」(女官たちが生活する大奥にあたるエリア)が完成し、初公開となった。“「奥」の世界”を探るため、案内をお願いした歴史ガイドの賀数仁然《かかず ひとさ》さんと待ち合わせたのは、首里城の玄関口・守礼門《しゅれいもん》。門に扉はなく、日本の城門とはずいぶん違う。さっそく琉球王国時代の衣装を身にまとった賀数さんの案内が始まった。「琉球は小さな国です。その小国がアジアの中で生き残っていくための戦略の中心は、外交でした。例えば中国とは冊さく封ほう・朝貢《ちょうこう》関係を結び、臣下の礼をとっていました。琉球では国王が亡くなると、中国に伝える。すると、中国皇帝の名代として、新しい国王を認める使者がやってきます。彼らを冊封使《さっぽうし》といいます」

冊封使は400〜500人。彼らを最初に出迎えるのが、この守礼門だ。「普段は別の扁額《へんがく》がかかっていますが、冊封使を迎えるときには『守禮之邦《しゅれいのくに》』を掲げます。これは、『琉球は礼節を重んじる、儒教を知っている国ですよ。これからの滞在中、最高のおもてなしをしますよ』という決意表明です。この守礼門で冊封使一行をオッとうならせ、安心させる。これも琉球の外交戦略といえます」

守礼門をくぐった人々の中には、招かれざる客もいた。幕末の嘉永6年(1853)、浦賀に行く前に琉球に立ち寄ったペリー一行だ。

ペリーに随行した絵師がこのときの様子を描いた絵を見ると、守礼門の扁額は「中山《ちゅうざん》府」。この人たちに礼節は関係ない、という思いの表れだろうか。王に会わせろ、というペリーに対して、琉球の役人たちはのらりくらりと対応。ペリーたちは得るものもなく、浦賀へと向かったという。

だが、その黒船が日本を開国させ、徳川幕府は瓦解。その結果、琉球王国は消滅し、明治政府に組み込まれて日本の沖縄県になったのだから、歴史はわからない。「明治12年(1879)には、琉球王国を解体させる、いわゆる琉球処分官である松田道之も、この守礼門を通って、お城に上がっていったのです」

世替わりを見つめてきた門。その門の前では、中国からの観光客がさかんに写真を撮っていた。

自然と巧みに調和する
祈りのための「聖域」
歓会門《かんかいもん》をくぐり、石段を上がる。瑞泉門《ずいせんもん》の手前には、今も龍頭から水が湧き出る龍樋《りゅうひ》がある。この水は王様専用。例外として、冊封使の滞在中は、毎日この水を汲んで、彼らの宿泊所まで届けていたという。「この水を飲んだ冊封使たちは、そのうまさに驚き、水を称える漢文を書いた。それが周囲に立つ石碑です。『この泉のパワーは玉のように飛んで来る』なんて書いてあるんです。ちょっとほめ過ぎだと思うんですが、それには秘密があります」

種明かしはこの先で、と促されて石段を上がった。下之御庭《しちゃぬうなー》と呼ばれる広場の奥にあるのが、10の御嶽《うたき》をもつ「京の内」という聖域だ。琉球では国王の姉妹など血縁の女性たちが、国の安泰を祈る大切な役割を担っていた。その役職名が聞得大君《きこえおおきみ》で、彼女を頂点としたノロという神女たちの組織がつくられていた。

ここで賀数さんが琉球の祈りの文化を説明してくれた。「琉球の御嶽には、ご神体も社殿もありません。なぜかというと、ここには神様がいないからです。琉球では、神様はニライカナイという世界にいて、私たちが呼ぶと降りてきてくれる。降りてくる場所が御嶽です。そのときに目印となる憑代《よりしろ》が、クロツグなどの高い樹木なんです」

そう聞けば、亜熱帯の木々に守られた京の内に、聖なる気配が感じられる。

次に進んだ「西《いり》のアザナ」は、高台にある物見台。那覇のまちの向こうに、東シナ海と慶良間《けらま》の島々まで見える。「ここで、先ほどの龍樋の“水ほめ過ぎ”の謎解きをしましょう」と賀数さん。ここに立つと首里城が風水上、最強であることがわかるというのだ。

(ノジュール2019年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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