[エッセイ]旅の記憶 vol.75

「空の玄関」を見に行く旅

森下 典子

昭和四十年代、わが家は日曜の朝、いつも家族四人でテレビを見ながら遅めの朝ごはんを食べた。見る番組は「兼高かおる 世界の旅」に決まっていた。特別な人しか海外旅行のできない時代、世界を自由に旅する兼高さんは、日本中の憧れの的だった。番組の冒頭、飛行機の翼をバックに、テーマ曲「八十日間世界一周」が流れ始めると、私は自分が大空高く飛び立つような高揚感を抑えられなかった。「おい、今日はみんなで羽田に行かないか」

父がそう言ったのは、ある晴れた休日の午後だった。羽田空港行きのバスが、横浜駅から出ていた。私と弟は、バスの最後部に座ってはしゃぎ、父も母も笑顔だった。首都高速道路一号線を、バスが走る。車窓から家々の小さな屋根や倉庫、京浜工業地帯の工場群が見えた。やがて多摩川を渡り、高速道路を降りると、羽田国際空港は間もなくだった。

空港の建物に入って、正面のエスカレーターを上がると、そこはもう空の玄関口だった。黒い大きな掲示板に、出発便の目的地が次々に表示され、広いロビーを、大きな旅行鞄を下げた人たちが往来していた。「ジャパンエアラインズ、フライト〇〇……」

ゆったりとした女性の声で、英語のアナウンスが流れる。そのアナウンスを聞くだけで異国の街を旅しているような気持ちになれた。

空港の建物のデッキが、ビアガーデンになっていた。国際空港なのに、デパートの屋上にあるような、ごくふつうのビアガーデンだった。そこで、父はうまそうに生ビールを飲み、母と私たち子供は、焼き鳥や焼きトウモロコシを齧った。私たちは、滑走路を飛び立って、空の彼方に消えていく飛行機を眺めながら、「あの飛行機は、どこへ行くんだろう」「パリかねぇ、ニューヨークかねぇ……」「行ってみたいなぁ!」

などと言い合った。……その後も何度か家族で飛行機を見に羽田空港に行った。

そのわずか数年後、海外旅行ブームがやってきた。大学生になった私は、家族に見送られて、羽田からヨーロッパに旅立った。父も母もパリやロンドンへ旅行した。間もなく国際空港は成田に移り、私は雑誌のライターになって、成田から幾度も海外へ取材に出かけた。海外旅行はもう特別なことではなくなった。

けれど、私は今でも空港にときめく。ロビーに流れる英語のアナウンスを聞くと、胸の中で鳥が羽ばたくのを、押さえることができない。子供の頃、「兼高かおる世界の旅」に憧れて、一家で出かけた羽田国際空港のロビーは、もうあそこにはないけれど……。


イラスト:サカモトセイジ

森下 典子〈もりした のりこ〉
1956年神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。
エッセイストとして幅広く活躍するかたわら、40年間稽古を続ける茶道にまつわる講演も行う。
昨年映画化された『日日是好日』(新潮文庫)ほか、『好日日記ー季節のように生きる』(パルコ出版)など著書多数。

(ノジュール2019年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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