[エッセイ]旅の記憶 vol.72

能登の記憶は美味と大酒

大竹 聡

最初の能登はざっと数えて四半世紀前の真夏。旅程は一週間だった。半島をめぐる取材の旅で、東京から金沢までは夜行の急行「能登」で出かけた。直角の硬い座席であまり眠れなかったが、朝の金沢は爽やかだった。

車で半島を一周した。輪島の朝市で鯖の糠漬けを見たのも初めてだったし、能登の魚醤「いしる」の香りと味わいにも驚いた。

ウソみたいな話になるが、その頃の私の酒は“ほどほど”に毛が生えた程度で、一日中運転してから宿に着き、風呂でも入れば、あとはビールのジョッキ一杯で十分だった。

そんな私の記憶に、貝焼きが残っている。ホタテの貝殻に野菜やらイカやら、もちろんホタテの貝柱も盛り付けて、「いしる」を少しかけて焼く。たったそれだけの料理だったはずだが、なにしろうまかった。

二度目はそれから五年ほど後になるか。突端の禄剛埼(ろっこうざき)灯台を訪ね、とんびが飛び交う空と、日本海の遥かな眺望と、どっしりとした灯台の堂々たる姿を写真におさめた。

その晩は、崖を背に海に面した「ランプの宿」の食事どころでカニをつついた。

席に来たご主人が、話を聞かせてくれる。

創業が一六世紀という老舗中の老舗はかつて、日本海を航行する船が接岸する港であった。沖合い、そう遠くないところに沈んだ船がたくさんあったから、海底には今もきっと、古伊万里焼きの壷やら皿やらが眠っているに違いない。どうにかして、これを引き揚げることはできまいか……。

半島突端の崖下の由緒正しい一軒宿で、カニをつつき、徳利を傾けながら、古伊万里焼きもろとも沈んだ和船のサルベージ(引き揚げ)話で盛り上がる。カニもうまいが、酒はこういう壮大な話に、実によく合うのだった。

その後も不思議なことに、能登には縁があるようで、三度目の旅は牡蠣のシーズンで、日本酒の祭りでもあったから、腰を落ち着けた本格的な飲みとなり、能登の長老から、ひっきりなしに酒を注がれた私はふらふらになった。 

また別の機会にも、土地の人から薦められて、軽く炙った干しくちこ(ナマコの卵巣)を肴に、珠洲(すず)の地酒「宗玄(そうげん)」を飲んだ。昼間の軽い一杯だったが、ことのほかうまい。これが呼び水になったか、その晩も、大酒になっている。それでも飽きることはない。今年は寒ブリを味わいに行けるか否か。今、それが気になっている。私にとっての能登の記憶は美味と美酒で彩られているようだ。


イラスト:サカモトセイジ

大竹 聡〈おおたけ さとし〉
1963年東京都生まれ。出版社勤務を経てフリーライターに。2002年仲間と共にミニコミ誌『酒とつまみ』を創刊。
著書に『酒呑まれ』『多摩川飲み下り』(ちくま文庫)、『ぶらり昼酒・散歩酒』(光文社文庫)、『ぜんぜん酔ってません』、小説『レモンサワー』(いずれも双葉文庫)、『五〇年酒場へ行こう』(新潮社)など

(ノジュール2018年12月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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